“芸人”と“デザイナー”。ふたつの顔を持ち、マルチバースを生きる男「都築拓紀」。舞台の上では笑いを生み、アトリエではファッションを紡ぐ。まるで相反する次元を横断するようなその活動は、いわゆる二足のわらじに映るかもしれないが、彼にとってはその“交差”こそが自己肯定感の源泉であり、結果として浮かび上がるのは都築拓紀という存在そのものを証明する軌跡だ。インタビューの前編では、都築拓紀がファッションと出会った原体験や“交差”した人物、HIROKI TSUZUKIというブランドを立ち上げた経緯やきっかけ、そしてこれからの理想の未来などについて掘り下げていく。
ファッションの原体験と“交差”した人物
まずは都築拓紀という人間を形成した核の部分に迫っていきたいのですが、ファッションを好きになったきっかけや、記憶に残っている原体験などがあれば教えてください。
中1のゴールデンウィークに、いとこの家に泊まりに行ったことがあったんです。そのいとこはおじいちゃんの家に住んでいて、僕の5個上で、もうそのときは高校2年生。一緒にいる時間が多かったので、ゲームや漫画などは、そのいとこの影響を受けて好きになりました。そんないとこの家に久々に行って泊まったら、髪を伸ばしてセットしていたり、ファッション誌があったりして。
その姿を見て服が欲しいと思うようになって、ゴールデンウィークが終わって家に戻ったときに、親に服を買いに行きたいって頼みました。でもそのときは知識もなにもない。それまでの僕は日常的に着るのは制服かジャージで、私服はスポーツウェアしか持っていないぐらいの感じだったので。
高校に入ってからは、幼馴染に影響を受けました。その幼馴染は田舎特有のでかいパンツしか履いていなかったのに、久々に会ったときに細いスキニーみたいなパンツを履いて、さらに細い自転車で現れて。その姿を見て最初は「なにお前」みたいな感じだったけど、風呂に入っているときとか寝る前とかに「待てよ。細いあいつのアレは、もしかしてカッコいいのか……」と考え始めたんです。
もう一回連絡して会ったときもやっぱり細くて。「細いのってカッコいいの?」みたいな感じで素朴な疑問をぶつけて、いろいろ見せてもらったときに、初めてファッションというものに気づくわけですよ。どうやら世の中にはファッションというものがあって、さらにオシャレと呼ばれる人もいるらしいと。それが何なのか興味を持って調べ始めたのが、僕にとってのファッションの始まりですね。

そのときすでに、“シルエット”が気になっているのは都築さんらしいですね。
僕が高校生のときにスキニーブームがあって、そいつはたまたま僕に会ったときに細かっただけで、もうすでにいろいろな服を知っていたんですけどね。さらにその幼馴染は、東京に買い物に行くことがあると。僕からすると「東京? 日本の中心とは聞いていたが、どうやら買い物ができるらしい」みたいなレベルで、さらにカッコいい服は原宿に行けば買えると。そういうのを聞いて、僕の中で知る由もなかった場所に連れていってもらうようになって、少しずつですが買い物を覚えていきました。
徐々に目覚めていったと。ファッション以外のカルチャーだと、音楽はオアシスなどが好きとのことですが、都築さんが好きなアーティストから受けた影響はありますか?
まずそれで言うと、僕はファッションを好きになってから音楽も知った感じでした。親が音楽にまったく興味がなかったので、僕はたぶん同級生の中でも吸収する速度が遅かったと思います。
だから恥ずかしい話ですけど、高校の友達とカラオケに行ったときに、知らないけど「ああそれね」みたいな顔をしながら、カラオケの画面の写真を撮ってあとでダウンロードするみたいな。カラオケベースで好きになっていったから、最初に聴いていたのは邦ロックが多い。ただ少ないですけど友達の中にはビートルズが好きみたいなやつもいて、その影響で聴き始めたのがオアシスとかでした。
本当に普通の田舎の高校生だったけど、友達といることが好きだったし、たまたまファッションや音楽に詳しい友達が周りにいてくれたのは大きかったです。そのあとファッションに興味を持ち始めたきっかけになった“細い”幼馴染が、美容師になるために日美(日本美容専門学校)に行って。僕はその同級生たちと仲良くなり、学生時代からファッションについて勉強していて詳しい人たちばかりだったので、そこからまたいろいろな知識をもらいました。数珠繋ぎで友達から友達にみたいな感じで知識をもらっていって、古着屋を紹介してもらって、また古着屋に行けばお店に集まる人たちから話を聞いてみたいな感じですね。

RE:Connectでは“交差”がひとつのテーマとしてあるのですが、その点で言うと都築さんが“交差”して影響を受けた人物はいとこや幼馴染でしょうか?
自分の中の原点としての“交差”で言うなら、やっぱりそうなってきますね。僕にとって彼らが、いろいろなことに興味を持つきっかけになりました。自分がスタイリングにおいて影響を受けたやつとかはまた別にいますけど、それも幼馴染をきっかけに出会っていたりするので。
お笑いの道に進むきっかけとなったのは、また別の人物ですか?
まったく別ですね。お笑いとファッションは違う世界線です。それにファッションがどれだけ好きでも、ファッションを仕事にしようと思ったことは、学生時代から一度もなかったですね。
やりたいことをやり続けられる未来
お笑いトリオ・四千頭身のメンバーとして活動しながら、2023年にHIROKI TSUZUKIというブランドを立ち上げましたが、そこに至った経緯やきっかけを教えてください。
個人的な繋がりからTEPPEIさんというスタイリストの方とお会いしたのがきっかけです。そこからいま一緒にやらせてもらっているyutoriの社長の片石くん、いわゆるゆとり社長と知り合いました。そのふたりで何かやろうという話をしていたそうなのですが、実現には至らず浮いていて。そのときにTEPPEIさんから僕の名前を出していただいて、一緒にブランドをやる流れになりました。
先ほども言いましたが、もともと服は好きでも、ブランドをやる気なんてまったくなかったです。そもそも作れないし、作れてもうまくいくイメージもなかったし、世の中に着たい服がすでに無限にありましたから。ただし、そういう形でご縁があるならば挑戦してみようと思ったんです。
アパレル関係の学校や仕事で学んでいたわけでもない中で、デザイナーとして自らの名前を冠したブランドを立ち上げることは、なかなか勇気のいることだなと思います。
僕はもともと好きでファッションを楽しんでいただけなので、何の技術もない。でもこれまで服をたくさん買って、たくさん着てきたのがいい経験になっていて、やりたいことはなんとなくですがイメージできる。商品になったアイテムがゴールだとして、僕にとって服で重視するのは「サイズ感」と「シルエット」なので、それらに直結する要素をいかに妥協なく再現できるかを大切にしています。

ちなみに過去のインタビュー記事で、「母親が自己肯定感を育ててくれた存在」というお話をしていて。その自己肯定感も、いまの都築さんのベースになっていますか?
母親の影響はむちゃくちゃありますね。ファッションの入り口というかきっかけにはいとこや幼馴染がいますけど、芸人にしてもデザイナーにしても、そのマルチバースを通っている人間は常に僕ひとりだから、僕を作り上げた母親は絶対的な存在で、軸にある人間性の部分は母親の影響というか教育の中でできあがっている。僕が服を作っているとしたら、母が僕を作ってくれたみたいなものなので。
結果、自己肯定感は高い方だと思います。母親はすごく厳しかったけど、自分にとってはすごくいい教育でした。宿題をしないからとか成績が悪いからで怒られたとかはなくて、人としてのモラルやマナーが間違っているときは叱ってくれたし、個性として優れていることは言ってくれる人でした。
僕は学生時代にあまり大人に好かれていなくて、それこそ三者面談みたいなときに「この子は変な子だ」みたいな言われ方をされることが多くて。そういうときに母親は先生に立てついてでも守ってくれるタイプで、「いやいやいや、あなたたちの価値観や物差しでうちの子を測られても困ります。この子にはこの子の良さがあるので」みたいな正義がある人でした。僕の人格が形成される時期にそうしてもらえたから、こういう性格でいられるというか、いまも……こんな感じでやれています。ハハハ!
素晴らしいお母様ですね。最後に芸人として、デザイナーとして、自分らしく活躍を続けている都築さんが思い描く、これからの理想の未来について教えてください。
どうしましょうかね。好きなことで食えたらいいなと思って芸人を始めて、いまはそれができているので、好きなことがもっとたくさんできて、もっとたくさんうまいメシを食えたらいいなって。
やっぱりある程度の人脈やお金や立場がないと、やりたいことってできないじゃないですか。ライブにしても集客の見込みがないとやれないわけで。何年経っても、やりたいことをのびのびやれる環境を常に作れたらいいなと。ただしそれは人が関わってくることだし、手伝ってくれる人がいて、お客さんがいて初めて成り立つと思うので、その上でやりたいことをやり続けられることが目標です。

幼少期からの出会いが都築拓紀の感性を育み、母の存在がその人格を支えてきた。そしていま、芸人およびデザイナーとしてふたつの顔で活動の幅を広げ、「やりたいことをやり続けられる未来」を望む姿は、彼が持つ等身大の哲学そのものだろう。インタビューの後編では、都築拓紀のよりパーソナルな部分にフィーチャー。芸人とデザイナーの思考の違いやもたらされる影響、シーンやトレンドとの距離感、HIROKI TSUZUKIの現在の取り組みやこだわり、これからの展望などに迫っていく。
四千頭身 都築 拓紀(つづき ひろき)
1997年3月20日生まれ、茨城県出身。 2016年に後藤拓実、石橋遼大とともにお笑いトリオ・四千頭身を結成。 現在、日本テレビ「有吉の壁」、FM FUJI「四千ミルク」、ラジオ大阪「四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919」などにレギュラー出演中。
