即決でニューヨーク。偶然から生まれた“発見”
現在はどのような活動をメインにしていますか?
今はネイリストやSFX & 3Dアーティストとして活動しながら、ニューヨークのネイルサロンにも勤めています。もともとこの仕事のスタートとしては、3Dプリンターを使って作る撮影用や成人式用のネイルなどがメインで、実際のところ一般的なネイルサロンとはやることがかけ離れていたのですが、インタビューなどで肩書きを聞かれたときにはネイリストと答えることが多くて。ただしそれで自分はネイリストと言えるのだろうかと考えていたのもあって、去年からネイルサロンで働くことにしました。
TOMOYA NAKAGAWA
遡ってアーティストとしての原点や原体験を教えてください。
ネイルの原体験は、出版した自伝にも書かなかったエピソードがあって。実は中学生のときからネイルに興味があって、高校は通信制で時間がけっこうあったので、ネイルのスクールに入った時期があります。ですが、実家からスクールまで遠かったのもあって、3日で辞めてしまったんです。でもスクールに行こうと思うぐらい、自分にとって10代のころからネイルは近い存在でした。
それでもまさかその道に進むとは全然思っていなくて。ネイルの仕事を始める前は漁師をして、その前は浮き輪のデザイナーとして友人とブランドを起業したり。会社をやりながら、ラーメン屋さんでバイトをしていたこともあります。
どれも好きな仕事ではあったけれど、やっぱり何かを作る仕事をしたいと思うようになって、その気持ちを当時お付き合いしていたネイリストのパートナーに話しました。その彼はニューヨークでネイリストとして3年ぐらい働いていて、自分の話を聞いたら「じゃあ来れば?」と言ってくれて。即決で、ニューヨークに行きました。
ニューヨークでネイリストを始めたきっかけは?
ニューヨークに行ってすぐコロナ禍に入ってしまったので、家にいる時間にいろいろやってたのですが、パートナーのネイル道具が一通りあって、ちょっといじってみようと思って教えてもらったのがスタートなんです。
最初は自分の爪にありもののパーツを付けるとか、2日かけて絵を描くとか。それをインスタグラムに投稿したらいい反応をもらえたり、買い物でレジの店員さんに褒めてもらったりして楽しくなっていきました。しばらくして、ふとジェルで作れる立体をいじっていたら、発明と言うと大袈裟ですが、“発見”して。
その触角のような仕上がりがすごくきれいだったので、インスタグラムに載せたら、そこから海外のフォロワーが増えていくようになりました。その延長で、作品を見たBjörkのスタイリストから連絡が来たんです。「まさかこんなことがあるのか」と思いましたね。
与えられた“おもちゃ箱”で生み出すアート
アート・音楽・カルチャーなど、作風に影響を受けたものは?
自分的には「まだ見たことのないものや存在しないもの」を、見たり形にしたりするのが好きなのだと思います。浮き輪のデザイナーのときも、最初に作ったのは人が乗れるぐらい大きな、ちょっとふざけた貝殻のデザインでした。そういうものをまた何かで作りたい──そんな意識がずっとあります。
その意味でBjörkのスタイリストの目に留まった触角のような作品も、漁師のときに船から見る水しぶきの光景が好きで、水の動きのような曲線的なイメージを思い出して作りました。
Björkに作成した作品
あと自分がラッキーだったのは、道具がすべてそろっていたこと。ニューヨークに行った当時、パートナーがちょうどCADをパソコンに入れて、3Dプリンターを購入したばかりのころで。自分は機械に強くないので最初は手をつけていなかったのですが、ネイルの初期段階に飽きてきたころに、パートナーから「これなら作りたいものを作れるかもよ」と、CADや3Dプリンターを勧めてもらいました。
自分も手作業で作れるものに限界を感じていたので、そこで初めて作りたいものと使うものがリンクして。そこからはけっこう慣れるまで早かったですし、“おもちゃ箱”を与えられたような感覚でした。
好きに作るものと、依頼されて作るものの違いは?
依頼に関しては完全にお任せのときもあれば、しっかりとコンセプトがあって、それにリンクするものを作ってほしいという場合もあります。後者の場合はやりやすいですし、その中でいかに自分らしさがありつつ、アイドルの子だったらかわいく見えるかなどを考えながら作るやりがいがあります。
単純に自分がいいと思うものを作っているのとは違う楽しさと、達成感がありますね。みんなで作った気持ちになれますし、やはりハードな現場もあるので、完成品はより思い出深いものになっています。
とりわけ記憶に残っているアーティストや作品を教えてください。
韓国の仕事だとNewJeans。彼女たちがすごくかわいいなと思って、仕事をできたらいいなぐらいの気持ちで韓国に行ったら、わりとすぐにNewJeansからお話が来て。メンバーそれぞれに、ヘッドピースとネイルを作ってほしいという依頼でした。
それまでのネイルは大きくて長くて目立つみたいなのが多かったのですが、NewJeansの色もあるので、短めだけど存在感があるような、それまでとは異なる作風を生み出す大変さと楽しさがありました。そのときはアメリカに行く前で、費用を極力抑えるために2万5千円のボロいアパートに住んでいて。当時は家の中で創作するテンションにならなくて、いつも近くのファミレスに篭って、デザインを考えていました。あれは自分自身を大きく更新できた仕事だったと思います。
仕事によっては予算もあるでしょうし、こちらとしても気を遣って、フィッティングはしないで爪や頭のサイズを送ってもらうことが多い時期もありました。でもNewJeansのときは、チームの担当の子から「TOMO! 絶対に来た方がいいよ。サイズを測るだけじゃないから!」と言われて。実際に彼女たちに会って、それぞれの雰囲気を見て、そこから感じて作るものは違うと。その言葉はまさにそうで、やっぱり実際に会ったことでデザインはしやすかったですし、チームとしての仕事も初めてだったので、結果的によりアップデートされた作品が作れたと思います。
NewJeansに作成した作品
「交差」する他者との関わりが自身に与えた影響はありますか?
今まで作っていないジャンルのものをオーダーされると、引き出しが増えますし、やった分だけ吸収できる感覚がありますね。現場ごとに出会う人も違いますし、そこから新しい仕事に繋がることも多い。
ひとつの仕事をやったら、また次の仕事につながることがありがたいですし、楽しいので、当たり前ですが、ひとつひとつの仕事で丁寧にモノを作ろうと。関わる人たちみんなが、プロジェクトに真剣に取り組んでいるので、自分も同じぐらいの情熱を注いで、満足できるような作品を生み出すことを心掛けています。
TOMOYA NAKAGAWAがニューヨークでネイルの仕事を始めたのは、きっかけとしては偶然の要素があったのかもしれない。ただしそのステージに導いたのは、彼自身のネイルに興味を持った原体験や、数々の仕事を糧に得た直感を信じる行動力。そしてそこからの飛躍は、彼の圧倒的な感性と陰の努力と言えるだろう。インタビューの後編では、「TOMOYA NAKAGAWAのライフスタイル」をテーマに、その根幹にある遊び心や好奇心、そして自身が思い描く理想像などを深掘りしていく。
Photo:Ryoma Kawakami
Interview&Text:ラスカル(NaNo.works)
TOMOYA NAKAGAWA
東京都生まれ。 現在NYを拠点にネイリスト、SFX&3Dアーティストとして活動。 世界中のアイドル、アーティスト、セレブリティ、メゾンなど幅広く手掛けるクリエイター。