残された「余白」を、人間性が満たす
Appleは常に「この製品で何ができるか」「ユーザーがどう感じるか」を最優先します。したがって広告でも、スペック表や機能一覧ではなく体験そのものや物語を見せるのです。People don’t buy products, they buy stories――人は製品そのものではなくその背後にある物語に心動かされる。Appleはその真理を早くから理解し、「最高のスペック」ではなく「最高の物語」を提供することに注力してきました。技術を人間らしい物語に融合させる姿勢が、Appleの広告をAppleたらしめているのです。
「語らない」戦略は、同時にユーザーファーストでもあります。広告に「余白」を作ることで、見る者が自分自身を投影しやすくなるよう、製品ではなくその先のユーザーを主役に据えているとも言えます。

Appleは2014年から「Shot on iPhone」キャンペーンを展開し、世界各地の一般ユーザーが撮影した写真を広告展開しました。One Night on iPhone 7(2017年2月)は、世界各地のiPhone 7ユーザーがある一晩に撮影した写真を集めた企画です。アイスランドの氷の洞窟から上海の屋上まで、25ヶ国で夜の風景を捉え、街の灯りや星空など、暗所での美しい写真が各国の看板やWeb上で公開されました。スペックを語るのではなくユーザー体験と創造力を直接見せ、「iPhoneさえあれば誰でもこんな写真・映像が撮れる」という夢を、ユーザーに抱かせる狙いがありました。
Apple Watchの広告では、ユーザーの命や健康がApple Watchによって救われた実話を取り上げるシリーズが特徴的です。2022年に制作された60秒のCM「911」では、映像らしい映像はほとんど映りません。実際の緊急電話(911通報)の音声がそのまま使われており、聞こえてくるのは「転覆した車の中で水が胸の高さまで迫っている女性」「沖に流されて戻れなくなったパドルボーダー」「高所から落ち脚を骨折した農夫」の3名と、オペレーターとのリアルな会話だけです。映像的な情報が極端にそぎ落とされ、音声(と沈黙)が緊張感を生み出す異色のCMとなっています。
Appleが初の空間コンピューティングデバイスApple Vision Proを発表した2023年WWDC基調講演における発表映像では、Vision Proを装着したユーザーの生活空間に巨大なスクリーンやウインドウが浮かび上がり、写真や動画が部屋の壁一面に広がったり、目の前に子供の立体映像が現れたりする様子が次々と映し出されました。登場人物たちは会話らしい会話もせず、ただ新しい体験に目を見張ったり手を伸ばしたりしています。例えば、あるシーンでは父親が目の前に広がる巨大なパノラマ写真をスクロールし、次のシーンでは母親がリビングで子供のホームビデオを再生して涙を浮かべる――こうした視覚的なストーリーテリングだけで、「デジタルコンテンツが現実空間にシームレスに溶け込む」という製品コンセプトを伝えているのです。
どれも「Apple製品を通じて輝き、ベネフィットを得られるのはユーザー自身」というメッセージです。Appleのブランド哲学には、最終的な物語の語り手はユーザーであってほしいという考えがあるのです。
五感に訴えるブランディング
Appleの広告は一貫して視覚 (Visual)主導であり、高品質で印象的な映像や写真が、言葉に頼らず製品の魅力やメッセージを運びます。「Shot on iPhone」ではプロ顔負けの写真そのものが看板を彩り、「Think Different」では偉人のポートレートが見る者を惹きつけました。Vision Proでは現実と仮想が融合する未来的な映像体験そのものがメッセージでした。商品を映すのではなく、商品が生み出す世界観を映す――これがApple流の視覚戦略であり、受け手は映像から直感的にブランドの価値を感じ取ります。
語り手がいない分、音楽や環境音、そして沈黙までも含む音 (Sound)が重要な役割を果たします。Appleは広告音楽の選曲にも定評があり、時に大胆な曲や効果音で感情を高めます。「Shot on iPhone」における野生動物映像にハードロックを流すギャップ演出や、CM「1984」でのハンマーがスクリーンを砕く轟音、「Think Different」のピアノの旋律など、音は言葉以上にメッセージを増幅します。また、CM「911」では前述のとおり、ほぼ無音の背景に通報音声だけを響かせることで、リアルな恐怖感と緊張感を生みました。説明的な語りを排した分、Appleは音響効果で見る者の感情を揺さぶり、記憶に焼き付ける工夫を凝らしているのです。
ジョブズが愛したシンプリシティという美学は、広告表現における「余白 (Whitespace)」にも表れています。情報を詰め込みすぎず、むしろ空白や静けさを演出に取り込むことで、メッセージの焦点を際立たせています。「Think Different」の印刷広告では、白地にモノクロ写真と小さなAppleロゴ+“Think Different”の文字だけという大胆な余白構成でした。余白は沈黙のメッセージとも言え、Appleはその余白にこそ「洗練」「自信」「ミニマリズム」というブランドイメージを投影しています。
そして最終的にAppleが訴求するのは機能ではなく感情的価値(Emotion)です。驚き、感動、共感、安心、誇り――各広告が喚起する感情は様々ですが、いずれも見る者の心を動かす強いフックになっています。ユーザーの撮った写真に賞賛を感じるとき、命を救われた人の声に胸が熱くなるとき、巨大スクリーンで映画に没頭する未来にワクワクするとき――その感情こそがAppleブランドと製品への最大の付加価値になります。
視覚・音・余白・感情が渾然一体となって、見る者に言葉を超えたメッセージを伝えるのがApple流のブランディングです。

スティーブ・ジョブズ時代に築かれた基本理念
いっぽう、ジョブズが率いたApple創業当初の広告には、「語らない」アプローチとは対照的な試行錯誤が見て取れます。
Apple自身による最初期のテレビCMは確認されておらず、1977年当時にオクラホマ州の販売代理店が制作したApple IIのローカルCMが「最初のAppleのテレビ広告」と言われています。当時としては珍しい家庭用コンピュータのCMは、軽快なジングルや端的なキャッチフレーズを通じてApple IIが家庭でゲームや学習に使えることを紹介するもので、現在のような洗練された演出とは程遠い、音量注意とまで言われる賑やかなものでした。
1983年、ジョブズが開発に深く関与し、自身の娘の名をつけたことでも知られるApple Lisaの発売時、Appleはニューヨーク・タイムズに9ページにも及ぶ大規模な全面広告を出しました。しかしこの広告は専門用語だらけで、高度な技術者でもなければ興味を持てないような内容だったとされています。その結果、Lisaは商業的に失敗に終わり、この経験は後のジョブズとAppleにとって反面教師となりました。つまり、製品を語りすぎることの弊害を痛感した出来事だったのです。
Appleが1984年に放映したMacintosh発売告知のスーパーボウルCM「1984」は、広告史に残る名作として有名です。リドリー・スコット監督による1分間の映像は、全体がジョージ・オーウェルの小説『1984年』をモチーフにした寓話的なストーリーになっており、肝心の製品Macintosh自体は画面に一切登場しません。群衆を洗脳する巨大神殿のスクリーン(独裁者「ビッグ・ブラザー」)に向かって、女性がハンマーを投げつけて打ち砕くという劇的なシーンの後、ようやく黒い画面に文字が浮かび上がります。
それは「1984年1月24日、AppleはMacintoshを発売する。そしてあなたは、なぜ1984年が小説『1984年』のようにはならないかを知るだろう」という一文でした。これが映像内で初めて発せられる製品名の言及であり、ナレーションがその一文を読み上げて、AppleのロゴとともにCMは幕を閉じます。
初代Macintoshは現代に引き継がれるグラフィック・ユーザー・インターフェイスやマウス標準搭載など、極めて画期的なパーソナル・コンピューターでした。そして、アメリカで最も人気の高いアメリカン・フットボールの世界一決定戦であるスーパーボウルのテレビCM枠は、全米が注目する放送枠として、いまなお時間単価が最も高額な映像宣伝として知られています。
にもかかわらず、このミステリアスなCMはスペックや価格はおろか、「それが一体何なのか」すら具体的に説明しない大胆な内容でした。しかし観客の印象には強烈に残り、「コンピュータが私たちを解放してくれる」と直接は言わずとも、ハンマーを投げる女性=Appleが旧来の支配や、退屈な巨頭(IBMなど)を打ち破るというメッセージを感じ取らせることに成功しました。結果、大きな話題を呼び、Macintoshへの関心を一気に高める伝説的キャンペーンとなったのです。

一時、経営陣との摩擦が原因でAppleを離れたジョブズが、復帰した直後の1997年に手掛けたブランディングキャンペーンが「Think Different」なのです。これは製品広告ではなく企業イメージ広告でしたが、「語らない」戦略を象徴する事例として欠かせません。
AppleはLisaでの9ページ広告の反省を踏まえ、たった二言のコピー「Think Different」に全てを凝縮しました。テレビCMや印刷広告にはAppleの製品は一切登場せず、代わりにアルベルト・アインシュタインやマハトマ・ガンジー、ジョン・レノンとヨーコ・オノ、ピカソ、マーティン・ルーサー・キング牧師など、歴史的偉人や異端児たちの白黒写真・映像が次々と映し出されました。
テレビ版では静かなピアノ曲に乗せて俳優リチャード・ドレイファス(日本版では別ナレーター)による有名なモノローグ「Think Differentの詩(Here’s to the crazy ones)」が流れ、「クレイジーな人たち…彼らは世界を変える」という内容で締めくくられます。しかし製品や技術の話は一切なく、最後にAppleのロゴと「Think Different」の文字が出るだけです。
この極限まで研ぎ澄まされたシンプルさと、偉人たちの持つオーラが融合した広告は、人々の心に強い印象を残しました。ジョブズは「人々は最高の製品ではなく、最高の物語を買うのだ」と考え、「Apple=創造性・情熱・非凡さ」という個性だけを強調したのです。
「Think Different」キャンペーンは5年にわたり展開され、Apple復活の原動力になったと評価されています。スティーブ・ジョブズが遺した、Appleの美学と哲学そのものともいえる「語らない」戦略は、その後の「iPhone」「Apple Watch」「Vision Pro」といった基幹プロダクトのマーケティングに受け継がれているわけです。
製品の本質的な価値(クリエイティビティ、可能性、体験)を研ぎ澄まし、冗長な説明を排して直感と感性に訴える。この一貫した手法がAppleらしさを際立たせ、他社とは一線を画す強力なブランドイメージを築き上げてきました。Appleは今後も語らずして語る巧みさで、私たちに新たな驚きと共感を届けてくれるでしょう。
Sources: Apple Newsroom、Apple公式YouTube、Adweek、TIME、PhoneArena 他
Text:田中誠司
●プロフィール
田中 誠司(Tanaka Seiji) / PRストラテジスト、ポーリクロム代表取締役、PARCFERME編集長
自動車雑誌『カーグラフィック』編集長、BMW Japan広報部長、UNIQLOグローバルPRマネジャー等を歴任。1975年生まれ。筑波大学基礎工学類卒業。近著に「奥山清行 デザイン全史」(新潮社)。モノ文化を伝えるマルチメディア「PARCFERME」編集長を務める。