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ヨシダナギの“ゆるさ”と“らしさ”。素直に喜べるこれからの自分。

写真家として、ひとりの人として。素直に生きる現在地

独学で写真を学び、アフリカをはじめとする世界の少数民族や先住民、そして近年はドラァグクイーンなどを撮影。唯一無二の色彩と直感的な生き方で、写真という枠を超えて支持されるフォトグラファーのヨシダナギ。現在は東京から屋久島に移住し、新たな環境で生活しながら、世界を股にかけながら、自分らしいペースで活動を続けている。インタビューの前半では、そんなヨシダナギの原点や転換期を振り返りつつ、インスピレーションの源や、印象深い交差などを探った。インタビューの後半では、日々の暮らしや大切にしているライフスタイル、ファッションやメイク、思い描く理想など、パーソナルな部分からヨシダナギの“ゆるさ“と“らしさ”、そしてこれからの自分に迫った。

変わった日々の暮らしと、変わらないスタイル。

後編では、現在のライフスタイルや考え方などに迫っていければと思います。まず、移住した屋久島での生活はいかがですか?

2023年に屋久島に移住しましたが、東京とかいろいろなところを仕事で回ったあとは、やっぱり帰りたいなって思える場所ですね。そうやって帰るたびに、「家に帰ってこられた」と思う反面、どこか旅行者のような気分も味わえるのが贅沢だなと感じています。
 
でも活動の仕方は、東京にいたときとあまり変わらないかもしれません。もともと東京に住んでいたときから、東京である必要がまったくない生活をしていたので、仕事でいろいろな場所に呼んでもらえるのであれば、どこにいても結局は一緒だと思うようになって屋久島に引っ越しました。でも島に行って、すごいアクティブになりましたね。常に動き回って、遊んでいる感じなので、そのあたりは東京にいるときより健全になった気がします。

ヨシダナギさんは趣味がなく、東京に住んでいたときは休みの日にずっとソファに座っていたら日が暮れていた、というエピソードが好きです。

基本的に、無趣味なんですよね。ただ最近は、夏になると屋久島の海と川に入れるので、向こうにいるときは毎日のように入ります。天気がいいのに水に入れなかったり、家にこもっているのはなんだか悲しくなってきちゃうんですよね。
 
元々は自然が多いところに行くと熱が出るような体質でしたが、屋久島はなぜかそれに当てはまらない不思議な場所で。まったくアウトドアな人間ではなかった自分が、まさか今のような感じになるとは思いませんでした。絶対に東京にいなきゃいけない理由とか、どっかに連れ戻されることがない限りは、当面はこの生活が一番心地いいと思っています。

パーソナルな部分で、好きなファッションやメイクはありますか? プライベートと撮影しているときの違いなどもあれば、併せて教えてください。

正確には普段と撮影ではなく、外に出るときにヨシダナギであるか、屋久島にこもっているときのプライベートの私であるかで違うのかなと思います。やっぱりヨシダナギとして外に出る以上は、みなさんが思い描く姿でいないと失礼だなって。この数年は特に思うようになって。イベントに来てくださる方とかも、プライベートの私ではなくヨシダナギを見に来ているので、ヨシダナギになるためにメイクをしている感じです。なので、もしプライベートやテレビの同行なしで海外ロケとかに行くのであれば、朝は5分でも長く寝ていたいのですっぴんが多いですね。
 
でも洋服に関しては、私にとって日々生きるための“戦闘服”みたいなもの。基本的に人と接触するのがあまり得意ではないので、見られるのも怖いですし、誰にも見ないでほしいと思っていて。その点、黒い服を着ることによって気が強くなるというか、そういう人の目に無関心でいられるので、自分を守る術(すべ)として黒装束に身を包んでいます。服は8割・9割、黒です。黒い服を着た瞬間に、キャッチにも声を掛けられない、ナンパもされない。そこを掻い潜ってくる人って、おじいちゃんおばあちゃんぐらいだと気づいてからは、余計な人との接触や災いから身を守るという意味で、黒い服を着るようになりました。

10年を経て、受け入れられた言葉や機会。

自分らしさという部分に関して、エッセイでは飾らない語り口や無理しない考え方が、同じような悩みを抱える人たちの共感を呼びました。

あるときに、エッセイ本のきっかけを作ってくれたPenの編集長に、「ナギさんって意識低いよね」って言われたことがあって。最初は悪口なのかなと思っていたんですけど、「そこがいいからエッセイを出そう!」みたいに言われたときに、私の欠点をマネージャー以外でそうやって面白がってくれる人がいることにびっくりしました。
 
というのも、『クレイジージャーニー』などではアフリカに行ってガハガハ笑っている姿が多かったからか、「ヨシダナギ=すごくパワフルな女性」っていうイメージを持たれていて。実際にイベントなどに来た人が、テレビで見た私と実際の私のギャップに困惑して、がっかりさせてしまったことが以前はけっこうありました。でもエッセイを出してからは、内面の意識の低さというか、ゆるさっていうのをみなさんに認識してもらえるようになって。実際の私に会ったときのがっかり感みたいなものがきっと減ったんだろうなっていう体感が少なからずあったので、そういう意味ではエッセイに救われました。

世の中のトレンドへの興味や、受ける影響などはありますか?

トレンドはまったく興味がないかもしれません。特に日本人は流行ったものに対しての食いつき具合がすごいじゃないですか。洋服にしても、メイクにしても、食べ物にしても。そこに夢中になっている人たちを、外から見ているのはすごく楽しいです。
 
あとは、みんなと一緒の方が安心という感覚もどこかであると思うので、ある意味それはそれで羨ましいなって。どうやったら人とうまく仲良く喋れるのか、戯れることができるかというのを、日本人は本能的にわかっている人が多いのかなと思います。私はそこにうまく入れないですし、つい本音で喋りすぎてうまく合わせられないので。

本音という意味では、全国16ヵ所で『ヨシダナギの知られざる世界』というトークイベントツアーを開催されましたが、反響や感想などはいかがでしたか?

10年くらいトークイベントをやらせてもらっているんですけど、毎回ずっと緊張していました。だけどようやく、去年あたりから緊張から解放されました。あと活動を始めて10年も経つと、始めた当時から来てくれている人がいたり、あと10年前はまだ子供でお母さんと一緒にテレビを見ていて、やっと自分のお金で会いに来ることができました──という人もいたりして。そういう人たちに会うと、10年ってすごく重みのある時間だなって思います。
 
あと私も歳を取ったのか、その方たちの言葉を、素直に受け取れるようになりました。今までは「頑張ってくださいね」って言われると、失礼ですけど「もし私が今も頑張っているとしたら、さらにもっと頑張れってこと?」とか、「私って頑張ってないように見えるのかな」みたいな感じで素直に受け取れずにいたんです。頑張れって言葉はプレッシャー以外の何物でもない気がして今も好きじゃないんですけど、それでも最近は「激励の意味を込めて声を掛けてくれる人たちに巡り会えた私は幸せだな」と思えるようになりました。
 
私の仕事の比率的にトークイベントや講演会が多いので度々、「フォトグラファーなのに、なんでこんなに喋ってばかりいるんだろう」って自問自答するんですが、今は少数民族や先住民の代弁者として自分がいるんだろうなと自分に言い聞かせて納得するようにしています。あとは社会不適合者だった私と自分を重ねて見ている人もいらっしゃるので、そういう人たちにとって少しでも心の拠り所になっているのであれば、こんなに誉(ほまれ)なことはないとも思うようになった、39歳です。

このインタビューシリーズでは、10年後の未来や理想像を聞くことが多いのですが、あまり先のことを考えない方なのかなと思いました。

ざっくりとしか考えないですね。引き続き、フォトグラファーの延長線で海外に通い続けられたらいいなとは思っていますが。あとは漠然と「ヨシダナギとこの仕事をやってみたい」とか「ヨシダナギにこれをやってほしい」とか、それが撮影じゃなかったとしても、面白い話をくれる人と近いうちに出会えたらいいなって思いを馳せています。
 
自分がなんとなく思っていたこととマッチングしたら、もちろんそれはそれでうれしいですけど、まったく違う角度から一緒にやろうよって言われると、遊びに誘われた気分で。小さいときにあまり遊びに誘われなかったので、誘ってくれる人がいるだけで、今はちょっと素直に喜べる。そういうものは私としてもいい経験になりますし、自分だけだったら絶対にできないことなので、未知の世界に誘ってもらえるのはとてもうれしいです。

今後チャレンジしたいことも、自分の中で設定はしませんか?

あまりしませんね。しいて言うのであれば、少しでも長く写真家でいることは、やってみたいこと。私の人生の中で、写真と少数民族を追いかけること以外、長く続いたものがないので。だからこそ、それらが何年続くのかを、自分自身で見届けてみたいという気持ちはあります。
 
あと地味に、空間作りの仕事に携われたらうれしいなとは思っていて。建築が好きだけど最新のビルとかが好きなわけではなく、昭和の崩れかけたアパートとか、アフリカの変わった建物とかが好きなので、そういうのをもうちょっとセンセーショナルにしたものが日本に増えないかなとか。あとは屋久島で自分の家や人が集える空間を作ってみたいんです。自分から発信しない限り話が来ることはないと思うんですけれど、いつかどこかで……と、楽しみにしている自分がひそかにいます。

ヨシダナギが屋久島での新たな生活を始めて、活動の仕方は大きく変わらないと語るものの、確実に変わりつつあることが、今の彼女を支えているのかもしれない。そしてそれは、応援してくれる人の言葉を素直に受け取れるようになったことや、自らの興味とは違う角度からの誘いを前向きに楽しめるようになったことにも繋がっているはず。ただし、それでもなお、軸は揺るがない。ヨシダナギになるためのメイクと黒装束を纏い、写真という出会いのツールを使って、彼女はこれから先も憧れの人々を追い続けていく。

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Photo:Ryoma Kawakami
Interview&Text:ラスカル(NaNo.works)

ヨシダナギ/フォトグラファー

1986年生まれ。独学で写真を学び、アフリカやアマゾンをはじめとする少数民族や世界中のドラァグクイーンを撮影、発表。唯一無二の色彩と直感的な生き方が評価され、2017年日経ビジネス誌で「次代を創る100人」へ選出。同年、講談社出版文化賞 写真賞を受賞。 以降、国内外での撮影やディレクションなどを多く手がける。