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ヨシダナギの“転換期”と“交差点”。写真を通して与えられた使命とは?

少数民族との絆が導いた、“撮り続ける理由”の再確認

「只今2025年より遡ること、約10年。突如として日本に現れた謎のフォトグラファーヨシダナギ」。全国各地で開催したトークショーの紹介文にあったこの文言は、ヨシダナギという存在の不思議さを端的に表している。アフリカの少数民族を撮るフォトグラファーとして、TBSの紀行バラエティ番組『クレイジージャーニー』に出演したのが、まさに10年前。そこから彼女の人生は大きく変わり、活動の幅も広がった。しかし同時にそこからの期間は、彼女にとって自らの目的を問う期間であったのかもしれない。今、ヨシダナギは何を考え、何を原動力に写真を撮るのか。インタビューの前編では、ヨシダナギの原点、動機、興味、そして交差などを探った。

ヨシダナギの原点。自らに与えられた使命。

5歳のときにテレビで偶然見たマサイ族がきっかけというエピソードがありますが、そもそも表現に関しては写真の前に興味を持っていたものはありますか?

最初は絵を描いていました。でも絵はゼロから生み出さなければいけないので苦しくなってしまったのと、絵を仕事にすることには小さいときから疑問もありました。

 

一方で、写真というのはボタンを押すだけで撮れるというのが私的には良かったんですよね。言い方はあれですが、写真は被写体さえ素敵な人を選んで撮れれば、褒めてもらえることを知ったんです。始めた当時の私は、それで生み出すことの苦しみから逃れられた気がしました。

そこから写真を本格的に始めたエピソードは散々語られているので、今のヨシダナギさんが10年前の自分を振り返ってどう思うのかを教えてください。

10年前を振り返ると、やっぱり若かったから怖いもの知らずで、だからこそああいうロケにも飛び込めたのかなと思います。最初のロケのときは(肩書きとしては)イラストレーターだったのですが、オファーがあったときに深く考えずにアフリカに行って、放送を見たらテロップに“フォトグラファー・ヨシダナギ”と書いてあったんです。

 

「じゃあイラストレーターはしんどいから転職しよう」くらいのノリでフォトグラファーになり、もう10年が経とうとしているのですが、今の私が当時のロケに行ったら「カメラの知識はないし」とか「イラストレーターなのに」みたいな感じでモジモジしていたと思います。当時は勢いがありましたし、逆にあのタイミングで動けていなければ今に至っていないので、29歳は私にとってすごく大きな転換期でした。

そこから数年間は忙しい日々を送っていたと思いますが、急激な環境の変化の中で、自分のモチベーションを保つための苦労はありましたか?

当時は若さゆえに乗り越えられた部分もありますが、一方で若さゆえにその状況をうまく自分で消化しきれていなくて、本質を見失っていたときもありました。注目してもらえるのはすごくありがたいことでしたが、自分が求められていることが何なのかもわかっていなかったので、それに対して傲慢になっていたところもあった気がします。

 

あのときはとりあえず、いっぱいいっぱいでした(笑)。基本的に人前に出るのが得意ではないので、毎日のようにいろいろな人と会って、喋って、結果的に苦しかった。ギリギリで自分を保っていましたが、3・4年ぐらい経って「こんなに働くために生まれてきたんじゃない!」って爆発しましたね。そうしたらコロナになって、2・3年はパタリと仕事がなくなって。そのときにやっと物事の本質やありがたみ、自分が本当にやりたかったことなどが見えたので、そういった意味ではいい反省の時間になりました。

コロナ禍で見えたものを、より具体的に教えていただけますか?

テレビに出始めて忙しくなったときに思ったのは、「私はただアフリカの人たちと遊びたいだけなのに」ということ。でもテレビなどの仕事で行くと、彼らと直接遊べる時間が少なかったり、どうしてもテレビ的な話をしなきゃいけなかったりして、「それは違うんだよな……」という気持ちがありました。さらに、写真展を年に6回とか開催していた時期でもあって。それをやることは仕事としてありがたいことなのですが、当時の私は「なんでこんなに写真展ばっかりやるのかな」と思ってしまっていました。

 

でもコロナで仕事がなくなって彼らに会えなくなったときに、私は彼らから「自分たちの存在や文化を伝えてほしい」という使命を託されていたことに気づきました。

 

私がメディアなどに呼んでもらえるというのは、彼らのことを伝えることができる機会や術(すべ)だったのに、私は自分の与えてもらった使命に対して、それをくれた少数民族の人たちや応援してくれた人たちに対して、すごく失礼なことを思っていたんだとハッとしたんです。なので、写真はいつやめてもいいなんて考えていましたが、今はやれる限り続けていきたいと思うようになりました。

降りてくるイメージと、交差する“おじさん”。

インスピレーションの源に関して、どのようなタイミングでアイデアが生まれたり、撮りたいという欲求が生まれたりしますか?

気持ち悪い言い方かもしれませんが、“降りてくる”瞬間があるんです。この民族だったらこういう画で撮ればカッコいいみたいなのが、旅に出る前に降りてくる。それで実際に現地に行くと、突然「あ、ここだ」っていう見たことのある画に出会えるので、その降りてきたイメージ通りに撮ると、思い描いていた写真になることが多いです。

 

逆に行く前に降りてこない場合は、パッとしたものが撮れない。それが自分の中では毎回すごくソワソワする。だから降りてくるときは安心して行けますし、自分が乗り気じゃなくても降りてくれば、意外とここの民族とは縁があるんだなって感じます。

過去のインタビューを拝見したところ、「写真に関してはあまり勉強しない」というようなことを仰っていて、その理由があれば教えてください。

そこは勉強しないという口実をいいことに、カメラに触りたくないだけですね。写真が趣味ではないのと、カメラ自体には興味がないので、それに対して必要以上に時間を割きたくないなっていうだけで。ただ、もし、私自身が勉強熱心で、彼らの姿を今以上にカッコよく伝えたいと本気で思っていたらカメラの勉強もするのかな?とも思う自分もいるのですが……今世は学ぶという意識が欠落しているみたいです。

あくまで写真は出会うためのツールでしかないのでしょうね。ちなみに、コロナ禍以降にドラァグクイーンを撮り始めたのはひとつの転機でしたか?

それまでの私はずっと少数民族にしか興味がないし、彼らだけを追いかけていたいと思っていましたが、周囲の期待から、新しいテーマを撮らなきゃいけないという壁にぶつかって。だからといってまったく興味がないものを撮るのはさすがに違うと思って、自分が興味を持てそうな対象を探していたら、ドラァグクイーンに辿り着きました。彼ら・彼女たちを撮れたことや、関われたことは今でも人生の財産になっています。

そこからコロナ禍に入り、新しい被写体を考えたときに、私が本当に大好きで撮りたいのはやっぱり先住民であり、少数民族の人たちだなっていうのを再認識しました。彼らのために時間も労力も使って、これからも追いかけていきたいなと改めて思ったんです。

その一方で、近年はジュエリーブランドとのコラボレーションや、映像・アートディレクションなど、仕事の幅としては広がっている印象を受けます。

私に依頼が来る案件って、「それって私とゆかりある……?」みたいなものも多いんです。でも、そういう案件は自分では辿り着けない被写体や経験なので、それはそれで取り組ませていただくと新しい発見や面白いことが多くて。なので、今はいただいた提案やお話は与えてもらった“縁”として捉えて、楽しんでやらせてもらっています。なので、最近は自発的にやりたいと思うことよりも、第三者の目で「ヨシダナギが撮ったら・やったら面白いんじゃないか」っていう形で生まれるものの方に面白さを感じています。

RE:Connectでは“交差”や“交差点”といった言葉がテーマとしてあるのですが、それらの言葉を聞いて連想するものはありますか?

それで言うと、私の人生の起点には必ず、“おじさん”がよぎるというか、通り過ぎていく。知らないおじさんだったり、ちょっと仕事で気にかけてくれていたおじさんだったり。私はそのおじさんたちに何回も救われて、人生が変わっていってるんです。

 

それを特に実感したのが10年以上前。まだ英語がそれほど喋れなくて、飛行機に乗るのも精一杯だった語学レベルのときに、チェックインが終わって搭乗口で待っていたら、いきなりインド人のおじさんに英語で「君のフライトはそこじゃないよ」って言われたんです。さらにそのインド人のおじさんは私が乗る飛行機の搭乗口まで連れて行ってくれて、同じフライトかと思ったら全然違って。それなのに、私が次に行くアフリカの国を知っていたんです。日本に行くならまだしも、私がアフリカに行くマイナーな便だったのに。そういうおじさんの姿をした妖精というか、道しるべの存在というか、こっちだよみたいに導く人が、毎回おじさん。不思議に聞こえるかもしれませんが、私はそれを思い浮かべました。

マスメディア的な言い方をすれば、“ブレイク”や“バズる”形で、10年前に一気に知名度が上がったヨシダナギ。そこからの10年で、彼女の中でさまざまな葛藤はあっただろうが、現在の語り口からは、“変えたくないもの”と“変えてもいいもの”が明確に存在しているように感じる。あくまでヨシダナギは、周りに左右されないヨシダナギなのだろう。インタビューの後編では、彼女の新たな暮らしや大切にしているライフスタイル、ファッション・メイクなど、パーソナルな部分から“自分らしさ”に迫っていく。

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Photo:Ryoma Kawakami
Interview&Text:ラスカル(NaNo.works)

ヨシダナギ/フォトグラファー

1986年生まれ。独学で写真を学び、アフリカやアマゾンをはじめとする少数民族や世界中のドラァグクイーンを撮影、発表。唯一無二の色彩と直感的な生き方が評価され、2017年日経ビジネス誌で「次代を創る100人」へ選出。同年、講談社出版文化賞 写真賞を受賞。 以降、国内外での撮影やディレクションなどを多く手がける。