札幌・東京・LAなどを拠点に、フラワーアーティスト・作曲家・写真家・建築デザイナー・ブランドオーナーなど多彩な顔を持ち、ワールドワイドな活動を展開する清野光。インタビューの前編では、清野光の原点・原体験、花との出会い、印象深い交差点などを振り返りつつ、彼のクリエイティブの源を探った。続くインタビューの後編では、清野光のさらにパーソナルな部分にフィーチャー。大切にしているライフスタイルや作品を生み出すうえでのインスピレーション、アーティストとビジネスリーダーのバランスや切り替え、ファッションやスタイルのこだわりなど。そしてラストには、10年後に思い描く自身の理想像と、「どんな世界であってほしいのか」で締めくくる。
YAZAWAの影響と、デザイナー or アーティストの思考
後編のインタビューでは、清野さんのよりパーソナルな部分のお話を聞ければと。「HANANINGEN」の反響を経て、生活や仕事の仕方が変わったと思います。
HANANINGENは絶対に流行らないと言われていたので、最初は馬鹿にしてくる人と、興味を持って会ってみたいですと言ってくれる人で分かれました。でも結果的にオファーをたくさんいただいて、結婚式でHANANINGENをやったり、札幌の新名所(札幌市民交流プラザ)が建ったときにオープニングセレモニーでHANANINGENを披露して、市長とテープカットをしたりとか。その流れで札幌観光大使にもなりました。そもそも札幌には花のアーティストみたいなのがあまりいなかったので、きっともの珍しかったんでしょうね。
わかりやすく言えば “バズった”わけですが、そのブームの渦中で清野さんが新たに気づいた発見、または大切にしていた考え方などはありますか?
あるイベントのときに、キャストはHANANINGENだけど、空間は違う花屋ということがあって複雑だったんです。なんですべて自分の世界観でやらせてもらえなかったのかなと。でもクライアントからすると、当時はHANANINGENの人なわけで。そのときにやっぱり、外に見えているものでしか人は信用しないんだなっていうことを感じました。
そこからはフラワーアーティストであることに特化して、よりわかりやすく打ち出していかないと伝わらないなと思って、自分自身のブランディングやプロデュースに力を入れました。でもセルフブランディングだったので、慣れるまでは大変でしたね。
セルフブランディングで影響を受けた人がいれば教えてください。
一番影響を受けたのは、YAZAWA(矢沢永吉)ですね。それまでまったく聴いたことがなかったのですが、いろいろな経営者も影響を受けている方が多いですし、セルフブランディングの塊のような人なので、学べるんじゃないかなと考えました。僕もYAZAWAのイメージで、思い描くHikaru Seinoというフラワーアーティストを作って、そのイメージで行動すれば、いつしか現実の自分が重なってくるかもしれないと。「Hikaru Seinoをどうする?」っていうテーマでノートを書きましたし、チームでもたくさん話しました。
あとは日本のアーティストの生まれ方ってどこか特殊で。ロサンゼルスとかだとぽっと出でバンっていけるけど、日本はそうなりづらい空気感がある。誰かが認めているとか、有名であることなどが大きいので、そこまでどうやったらいけるのかに集中しました。
そうやって徐々に自身の理想像を作り上げていったわけですが、作品を生み出すうえでは、どのようなモノ・コトからインスピレーションを受けますか?
まず自分の中で、「デザイナー」と「アーティスト」で思考が分かれています。デザイナーとしては、B to B視点の、パーティーなどのコンセプトに合わせていく僕ですね。それは空間とか色とかを見て、邪魔にならないように、それでいてよく見えるように、それこそファッションショーとかを作っていく感覚でデザインしていきます。一方でアーティストとしては、自然の美学を見せる自分。そちらは植物の限りなく意味のわからない形とか、不思議なものを見せていきたいっていう気持ちが大きいので、自己満の世界に近い。
その上でインスピレーションに関しては、アーティストの方になると、“植生”っていう植物の1個ずつの動きとか形で全体像を描いていく。あとは面白がって見てもらえるような、しっかりとしたメッセージ性があるものを中心に作ることが多いですね。
清野さんはフラワーアーティスト以外にも、作曲家・写真家・建築デザイナー・ブランドオーナーなど肩書きも多く、これまでの経歴を見てもさまざまな表現方法をお持ちですが、そういった表現のミックス感はもともと好きなのかなと思いました。
好きですね、全部ミックスします。花だけではなく、音も作るし、装飾も作るし、空間を構成するものすべてにこだわりたい。中でも背景や、あとは建築が一番気になるかもしれません。もともと建築は好きなのですが、やっぱりずるいというか、それぐらい建築の力は大きい。建築はそこにあるものをよりすごいものだと思わせるような、良き錯覚を起こすチートさがあるので、自分が何かを手掛けるときにもまず建築を見ますね。
改めてこれまでを振り返って、清野さんにとって印象深い“交差点”と、それが自身に与えた刺激・影響・変化などがあれば併せて教えてください。
先ほど(インタビュー前編で)話した木に話しかけるおじさんもそうですし、震災も大きかったですし、最初にパンクロックをやっていたのも実際は大きいかもしれないです。いまではパンクロックを聴くことはあまりないですが、兄がいまだにハードコアのバンドをやっていて、ツアーとかもしていますが、それを見ていると楽しそうだなって。
あとはロサンゼルスに行ったのもすごく大きかったのかなと。最初はハリウッド映画と絡めたらいいなとか、自分の子供を向こうで育てたいなっていう理由で、日本と行ったり来たりできればいいかなぐらいの感覚でしたが、行ってみると経済的な部分と人間の幸福度のレベルがとても高くて。まず家族を大切にされているスーパーダディーみたいなお父さんがたくさんいる。個人的な成功を求める人も多いし、社会的成功以外でも幸福度がとても高いっていうところで、自分もそういう人になりたいと思うようになりました。
あとはコロナの1年ぐらい前に、半分以上のスタッフがストライキみたいに辞めたことも大きかったですね。キツかったけれど、それで成長できた部分もありますし、毎年何かしらあります。ここ(BOTANICA MUSEUM)をやるっていうのもかなりのターニングポイントでした。いちフラワーアーティストが、美術館をプロデュースする事業に手を出すことってなかなかないですし、簡単なことではないですがやりがいはすごくあります。
国境も国籍も関係ない、地球という国の世界平和。
清野さんにとって、ファッションに対するこだわりはありますか?
植物をメインに生きているので、“黒”という決まりはあって、スタッフも黒い服しか着ません。それは “黒子”という意味合いで、植物を一番に際立たせるためにそうしていて、服は自分でも作っています(アパレルブランド『Paphio Pedilum』)。カナダ時代の師匠にも「おしゃれじゃなくてスタイルをちゃんと持ちなさい」とか、「お金があればおしゃれは誰でもできるけど、スタイルを持つのは難しいよ」とよく言われていて、そういう経験からも、自分の人生で着る服は自分で作りたいなと思うようになって、いまはそうしています。
あとは世の中のトレンドへの興味や、受ける影響などはありますか?
影響はありますよ。でも自分が一番インスパイアされるのが、先ほど言った自然とか原点になるので、結局は脳科学などと繋げます。例えばファッション業界だと韓国では、現代アートみたいな巨大なオブジェを真ん中に置くのが流行っていて。なんで人間は大きなものを真ん中に置くと見てしまうんだろうとか、有名な街って真ん中に大きいものを作りがちだよなとか。そういう視点で“トレンド”と“真理”を繋げるのは大好きです。
清野さんはアーティストであり、ビジネスリーダーでもありますが、ご自身の中でそのバランスの取り方や、切り替え方などがあれば教えてください。
僕はコミュニティとかチームづくりが好きな性格で、その根本には「いまの自分に合った人間が集まる」っていう、ホーキング博士が提唱していた考え方があって。人間が持っている振動数みたいなものがあって、僕が進んでいれば、同じく進んだ人が近くに来てくれる。逆に僕の会社を辞めた人も、その人がぴったりな場所に次は行くっていうような考え方をしていて、実際そのように見えるんです。その考え方が僕としてはすごく面白くて、次は誰が来てくれるかなっていう感情を抱ける自分に、いまは辿り着いています。
個人として、会社として、今後チャレンジしたいことはありますか?
Hikaru Seino個人となると、フラワーアーティストという肩書きをもっと超えて現代アートをやりたい欲求や、お金があったらこの美術館ぐらいの規模のことをどんどんやりたいという気持ちが、自分の中には貪欲に詰まっているんですよね。そのあたりはまだまだこれからなので、本当の意味で自然を残していきたいのであれば、フローリストというところから、よりアーティストになっていく方向を目指していきたいと思っています。
それとGANON FLORISTというブランドに関しては、今でもファイブスターホテルなどでお花をさせてもらっていますが、一流と言われる場で依頼されるような企業にもっとなっていくことで、さらに上を見られるチームになっていく。これからも日本の大切な事業やパーティーなどに関われるブランドになっていきたいと考えています。
もうひとつ、このインタビューシリーズでは10年後の未来や理想像をみなさんに聞いています。最後に、清野さんが思い描くこれからについて教えてください。
僕自身はここからもっと活躍しないと、本当に伝えたいことを聞いてくれるところにもいかない。なのでもっと傾(かぶ)くというか、外に出ていくことを頑張って、本当に自然や原点の話とかをもっと伝えられる場で伝えられる人になっていきたい。さらにそこで話すことが目標ではなくて、関心ある人たちが集まって、それを理解させていくっていう能力も自分には必要だなと思っているので、もっと勉強しなくてはいけないなと思っています。
あとは多くの人にとって、ゴールは一緒だと思うんですよね。「それはなぜか?」を繰り返していくと、行き着く先は世界平和。10年後にそうなるのかはわからないですし、本物の世界平和はどうしてもいろいろな事情があるので現時点ではほど遠いのかもしれませんが、国境も国籍も関係ない、地球という国になっていくような世界平和を望んでいます。
かつてパンクロックに突き動かされた少年は、内なる自分の感情に葛藤しながらも、自然、植物、そして花と出会い、自らの人生を彩っていった。清野光にはさまざまな“交差点”が存在し、それらをすべて自らの糧とし、表層的なものではなく原点を大切にしながら、自らのアートへと昇華し続ける。「世界一花を愛せる国を作る」というテーマは、現在の自身にとっては初々しく聞こえるかもしれないが、その根底に息づく想いはきっと変わらないだろう。これからも清野光は、五感すべてで感じる自然の魅力を描き出していく。
< 前編『世界的フラワーアーティストのクリエイティブ。清野光を形成した原体験と交差点。』はこちら
BOTANICA MUSEUM
〒261-0003 千葉県千葉市美浜区高浜7-2-4
043-277-8776
Photo:Ryoma Kawakami
Interview&Text:ラスカル(NaNo.works)
HIKARU SEINO
現在、ロサンゼルスと日本を拠点に活動し、現代のフラワーデザインの最前線で活躍している日本人フローリスト。その斬新でエレガントなスタイルは国内外で高く評価され、ウェディング、イベントデコレーション、建築プロジェクト、プロデュース、脳科学など、多岐にわたるクリエイティブなサービスを提供。その卓越した技術と創造力は、多くの国際的な著名人に認められている。彼のデザインは、世界のラグジュアリーホテルや世界的なファッションブランドとのコラボレーションを通じて多くの人々に紹介されており、ブランドのイベントやショールームのフラワーデコレーションも担当し、その繊細で洗練されたデザインが高く評価されている。